2004.水害活動報告
           (下記、文章は「04.奈良『市民・ボランティア』防災フォーラム」・「大和川付替え300年
                         記念式典、第二部『大和川流域フォーラム』」にて公演しました。)

   
新居浜浜神郷地区  水はここまで来た。手の下の   同、農家の広庭に堆積したヘドロ、足跡が点々と続く
     土壁が崩れる。後に土壁は全て落とす。   厚さ30cm位のヘドロがたっぷりたまる。


・「活動の動機」  
 ただいまご紹介いただいた、奈良災害ボランティア・ハート・ネットワークの宮津です。私がこのグループを立ち上げた背景は「奈良にてもいつかは何かの大きな災害が起こる」と考えているからです。
 様々な災害が「奈良だけは勘弁してくれる」とは、私には考えられません。それは良く報道される南海・東海・等南海地震であるのか、奈良にての直下型地震であるのか。
またこの夏のような「同時多発型ゲリラ豪雨」や、「台風を伴なう集中豪雨」による土砂災害や河川氾濫であるのかどうか。それは起きた後でないと何とも言えません。

 ただ、何か大災害が起きてしまっても、私はそこを生きぬいてみたいし、自分自身の生命をより良く生きて、豊かなものにしてゆきたいと考えています。そのためには家族や仲間・隣人と、町の人々と「力をあわせて生きる」ことが必要だろう。そう考えているのです。よって奈良災害ボランティア・ハート・ネットワークという名の「災害時活動」を目的とするボランティア団体を今春立ち上げました。

・「目的意識」
 この夏から秋にかけては、他府県での集中豪雨や、台風による災害の連続発生です。夏から秋にかけて私は福井・愛媛・岡山・三重・兵庫へと、「現地活動」に参加しました。奈良にて平平凡凡としてては何もわかりません。なんの活動もできません。およそ奈良は災害の極めて少ない所です。「災害空白地帯」としての奈良県民は、自ずと防災意識の低いのは、「被災体験が無い」ことが大きな要因でしょうか。


       
   福井県美山「災害ボランティア・センター」にて      同、各地より駆けつけたボランティアさん達



 ならば他府県での被災地で「現場活動に参加する」ことが、被災体験「そのもの」でなくとも、ある意味「被災体験」につながるのではないか。私はそう考えました。それは自分のためになり、ボランティア活動を豊かにし、奈良のためにも役立つだろうと考えるのです。

 このことを整理して言えば@まず私が「被災者の力に何か役立ちたい」と考えるのとA私が「災害に学ぼう」と考えていること、またB「災害と闘う仲間」と出会いたいという動機が私にはあります。Cそして他府県での「活動の成果を奈良に持って帰りたい」のです。またD被災地で「現場活動」に参加すれば自分に「何ができて何ができないのか」という経験を積むことができます。この経験はE「奈良で起こる災害」に何らかの対処の方法を、私自身で見つけることが出来るようになるのではないか。Fまた、自身の体験を何かの形で発表すれば「みんなの問題意識や共通認識」に高まってゆくのではないか。とも考えています。よって現地活動にできる限り参加しました。
 
 しかし実に奈良は災害の極端に少ないところであるのでしょう。奈良に住んでいて良かったとつくづく思います。今年は吉野・大塔村168号線の土砂崩れだけで済んだようです。では、奈良にて災害が起きて、それをいやでも体験する必要がなければ、この私のする活動なり、この話なりは「無用のこと」なのでしょうか。
いいえ、奈良でもS.57大和川河川氾濫による水害は起きています。どんな災害であれ、災害は市民社会への脅威であることに間違い在りません。



     
     足羽川上流、道路に乗り上げた流木            土砂災害による家屋倒壊



 そして「被災地」は、災害の規模が、大きければ大きいほど「自分のところで何とかしよう」なんて言ってられません。災害現場は直後であれば「混乱の極み」にあります。確かに「主体性」は被災地にあり『住民主導』であるべきですが「自助努力」ではどうにもならない時、その時は「他所からの救援・支援・誰かの助け」が必要だと考えます。
また、同じ日本に暮らしていて「県内・県外」の行政区分が被災者にとってどれだけ重要なことでしょうか。災害は日本の「お国の一大事」であって、住民や国民が、「助け合う」のは「あたりまえ」のことではないでしょうか。



  
         同、「受付」風景
 


・「被災地情況」(集中豪雨や台風による河川氾濫)
 この夏の台風や集中豪雨の重なりは、土砂崩れ・土石流・河川氾濫や高潮を起こします。山の斜面・山々のふところ深く、広大な面積に降り注ぐ雨は、平素は「恵みの川」を一転して、「暴れ川」と成します。
 そこにTVで見ても信じられないほどの、大量のドロ水と流木を見ることが出来ます。しかしそれは表面だけです。その速い流れの中には土砂・石・岩を飲み込んでいて橋や橋脚で「ビーバーダム・ロックヒルダム」を形作り、川の水位を一気に上昇させ、水流が更に増えて超えればビーバーダムを押し倒し、それらを巻き込み、一気に下流へ流れ出します。
 


     
  橋を超えた流木。これが多いと「ビーバーダム」     倒壊した橋の残骸。川向こうの家は壁が抜けて
  が出来上がり橋は押し倒される。              いる。  



 川に掛けられた橋や橋脚が流木や岩を引っ掛け、流れを堰き止め、このような現象が起こります。福井県美山町を走る越美北線は、ニュースで度々放映されました。幾つかの橋や鉄橋が豪雨の被害にあい、足羽川に並んで走るトンネルは冠水もしたのです。このことから川の手入れも大事だし、山の手入れも両方を大事にしなければ「大変なことになる。」そういうことがわかりました。

 川の高低差が平野部で一気に縮まれば、そこで濁流は溢れ出します。また川の形が曲線を描けば比重と浮力の関係からスピードに乗った小石・岩・流木は、容赦なく堤防や護岸を傷つけ乗り越えて、それが続けば護岸を打ち破り、堤防の決壊に至るのです。そこに農業用水路などの引き込み口があればそこを突破口にして、泥水は容赦なく町に向かって侵入してくるのです。



    
出石・鳥井地区の「水門」破壊と土砂に埋もれた   その水路の進路にあった住宅地500m位の距離。
水路。水門そのものは強固でも、周囲は土盛りと   「水路」そのものからは離れたところに、被害による
擁壁でしかない。                       新たな水路・水溜りができてしまった。


 
 川が天井川であれば町を飲み込み、高齢者や障害者を水死に至ることはたやすく、また比重と浮力の関係から土砂とヘドロで町を埋め尽くすことは造作ないことなのです。ヘドロは有機物と粒子の細かな土砂の黄褐色の混合で、放って置けば害虫や鼠の住処となり「疫病の温床」となる恐れすらあります。
 
・「寸断された町」
泥水の濁流は町を飲み込みます。流木なども流れ込みます。マンホールの蓋も持ち上げます。下水や汲み取りトイレの汚物も巻き込みます。そのような濁流による床上浸水は家具や衣類、電化製品などを使えなくします。また自動車もコンピューター制御であれば誤作動を起こします。ウィンカーの点灯や、パワーウィンドーが上がったり下がったりしている車を見ました。



    
兵庫県出石地区 泥流に押し流された車。もう使えない   


 ライフラインも寸断します。電信柱が倒されれば電話は不通になります。無線も携帯電話も分厚い雲や雷などで使えない場合があります。助けを呼ぶにも通信手段はありません。気後れしていれば浸水と濁流の為に、隣りの家に助けを求めにも行けません。「お年より・障害者」の人達を忘れてはなりません。

 電気も使えなくなれば夜になると町は暗闇に閉ざされます。あたりは一面水浸し、どこが道で溝なのかわからなくなり表に出るのは大変危険です。ですから「緊急避難」もできなくなります。
 電気やガスが使えなくなれば、炊飯器や鍋をつかうことも、もできなくなります。食事の用意などできるはずも無いのです。

 兵庫県豊岡市は町の八割が浸水被害を受けました。町が機能麻痺に陥ると救援すらもなかなか望めなくなるのです。平素の社会生活は望むべくもなくなります。これが他所・他府県からの迅速な「救援・支援」が望まれる由縁です。大災害は小さな地方自治体では太刀打ちが出来ないのです。

    
 ・「個別情況」
 床上まで来る浸水は大量の土砂とヘドロを家の中まで運びます。床下にも潜り込んできます。電気器具は漏電してショートして使えない。プロパンガスであればボンベは泥水に浮き流されるところもある。都市ガスであればストップがかかる。また水道も使えない場合もある。町中が泥水と土砂に埋もれていては店屋さんも「休業」するしかなく、自分の町で買い物はできません。車がドロに埋もれていては隣町へも買い出しさえできなくなるのです。
ボランティアセンターに「おにぎりや炊き出し」を恥ずかしそうにもらいにくる被災者を何人も見ました。ここでは生活物資の購入も、搬入さえままなりません。
これらのことは山間部の小地域で災害の度に時々あることです。しかしそれが自分達の暮らす「町」で起こるとは、誰しも考えにくいのです。だから実際に災害が起きるとみんながパニック状態に落ちるのは無理もないのです。



     
美山地区暗くて見えないけれど「ヘドロかき出し」の  同、住居フローリングは剥がせない。よって和室
真っ最中。この日の気温は35.2度の暑さ!      から洋室・キッチン下の「ヘドロだし」となる。むろん、
みんな一緒に汗まみれ・ヘドロまみれ!これも     もちろん「ヘドロまみれ」。残すと衛生害虫やネズミ
また「楽し!」福井大アメフト部は大活躍した。     の「すみか」となる。あとで「石灰」を撒き消毒する。



・「行政とボランティアの役割分担」
災害の後に、復旧工事や公共部分の作業は行政の担当ですが、一般家庭の敷地内は私有地ですから「そこに暮らすものの負担」となります。災害ボランティアはここで被災者と力を合わせて「@ゴミ出し(畳・家具)・Aドロだし(ヘドロ)・B洗い・C消毒(オルソ・クレゾール)」のお手伝いをします。
また「そこで暮らせない」状態の人々は「避難所生活」しなければならないから、また、地域の行政や「福祉の手」も通常業務と被災業務の二重作業ですから、災害ボランティアはここでも何かのお手伝いをすることになります。
私の場合は体力勝負の「ゴミ出し・ドロだし」が現地での主な作業ですが場合により「災害ボランティアセンター」立ち上げや、運営・設営のお手伝いもします。



 
新居浜市、「災害ボランティアセンター」         福井県より「応援物資」が届けられた。「助け合う
モラルは高く、使命感も、対応能力にも優れていた。 お互い様」。資金と物資がなければ「素手」かな?
「ボランティア出動」の挨拶の様子。気合は伝わる。 
                                    


・「災害ボランティアセンター」
 阪神大震災の教訓や、水害の連続発生からようやく災害時の「災害ボランティアセンター」の重要性に多くの人々が気付き始めました。「もし何かの災害が起きた時どう対処しようか」ということで「災害・ボランティアセンター」立ち上げのシミュレーションや運営が、よく議論されるようになってきたのです。
 「災害・ボランティアセンター」は現地付近に設営され、ここからボランティアは被災地での活動を始めるのですが、まず「ボランティアセンター」とは何かと言えば、善意やボランティアの総力の結集地点であります。それは地域社会の各階層の総合力であり、各ボランティアグループの結集であり、およそ「広汎なネットワークが、強大なボランティアセンター」を確立し運営します。
地域独自のボランティア・ネットワークが確立して機能してあれば「他所からの応援」の受け入れ窓口となり、しっかりした「災害ボランティア・センター」を立ち上げることが可能です。その様な活動があれば、それは被災者の利益に等しいと私は考えています。みんなの「優しい気持」ちがここに結集してくるのです。それは被災者に反映されます。



(連続水害発生は、連続ボラセン立ち上げ、となりますから「ボラセン立ち上げ」の学習には都合が良い。!この経
験は次の災害に「生かされるはず!」04年度は日本各地に47箇所の「災害ボランティアセンターが確立された。)
   
各家庭の「ニーズ表」から「活動指示書」を作り「住   同、「大きなボランティアネットワーク」が「ボラ・
宅地図」とセットして「各ボランティアグループ」に渡   センを強力にする!」 人も道具も物資も「善意
す。その作業風景。三重県海山「災害ボラセン」     と勇気」も集中します。



 「災害ボランティア・センター」(看板大)を運営する為に、まずセンターの設営(テント・燈光機・発電機)が必要です。そして道具(バール・スコップ・バケツ・デッキブラシ・一輪車等)や資材が必要です。多くのボランティアさん達が集まるから、食事も「水・飲み物」(発注表)もトイレも必要です。間に合うように調整します。電話もファクスも、PCもコピーも文房具も、トランシーバーや車も必要です。
 
「ボランティアさん」(受付表・ボラ保険加入表)が大勢集まります。「何かしてあげたい、できる仕事があるだろうか、とにかく活動したい」と考えてやってきます。
それ以前に多くの「被災者のニーズ」(ニーズ表・→活動指示書)「これこれをして欲しいこと」があります(ニーズをリードすることが必要で大事なこと)。    
何処へ(被災地地図・住宅地図)ということで「マッチング」・「コーディネート」が、必要となります。熟練の「災害VC」の出番です。こうして『被災者宅へ、ボランティア出動!』が成立します。徒歩でもOK!手配できればシャトルバスも発車します。(配車表で車の位置を、も管理します。)



      
VC(ボランティア・コーディネーター)の勇士          1BOXカーが「シャトルバス」として重宝する。   
彼は優秀な「手配師」でニーズとボランティアの        水害ボラセンは「広い駐車場」と付帯設備で
仲立ちに勤める。福井美山ボラセン               「なんとかしよう!」



・「災害ボランティア・コーディネ−ター」
しかしまず「センター立ち上げ」の仕事のできる者たち、災害ボランティアの経験者たち、熟練者達が必要となります。「被災未体験」の地域では特に必要とされます。「災害ボランティア・コーディネ−ター(VC)」と呼ばれる人たちで、私はかろうじてその一人であればいいな〜。というところです。
しかしこの半年の様子を見ていると「社会福祉協議会」がそれを「任務」として担当するようにも見えます。(これは行政の任務分担としてあるのでしょうか。?)

 行政・自衛隊・消防署・消防団・町の守りとしての自主防災団・青年団・JC・労働組合・日赤・各NPO・各ボランティアグループ・地域「社会福祉協議会」と、様々な団体が参加して「被災者のためになる活動」をすれば、それは、それは『素晴らしい!』こと。
その調整役がコーディネ−ターの仕事であり、災害ボランティア・コーディネ−ターは「災害ボランティアと、被災者・被災地」を結びつける「手配師」であるでしょう。
 被災現場に熟練の「災害ボランティア・コーディネーター」が一人でもいれば「見よう見まね」で「災害VC」が順次生まれてゆくのです。そして「支援活動」が活発化してゆきます。「大災害と闘う!」陣形が整ってきます。

(しかし災害がなければ用の無い人たちで、出番は少ないほうか良い!。災害も今年のように、そう再三あるわけではないので仕事で無く「ボランティア活動」にしておけば良いでしょう。)



    
シャトルバスの入れない所からは「現場」まで徒歩   道路への「土砂崩れ」ここは迂回して少し山道を歩く。
で、前進する。ボランティアの隊列は山の麓まで延   ショベルカーが、「川床」の土砂を取り除く。
々と、続く。美山折立地区へと向かう。 



・「大災害と斗う!」
 私達は「大災害と斗う!」のです。この字は北斗星より取っています。大仏殿の『紫微』金のシャチホコをさします。中国の故事に倣っています。北極星を頂点・理想として、廻りを取り巻く星々が運行するさまを、民衆の意思が一点へと昇華するさまを、「人々の力を結集する」意味で、私はここでとりあげています。(華厳経典にてはビルシャナ佛を中心として展開する三千大千世界の広がる様)
 大仏建立の現場指揮は「行基様」であり、「天平の社会福祉の先駆者」であり、一党の行基衆は「善智識」と呼ばれていました。布施屋を街道に設営し、橋を立て、ため池を掘り、知識寺を各地に建立し、民衆救済を実践しました。
 奈良に住む私達の誇りです。私達はここに21世紀の災害ボランティアの「あるべき姿」の一つを見ます。

 例えば、「ボラセン」は「善意の、ボランティアの結集地点」であり、ボランティア・市民の強大なネットワークがボラセンを強力にします。それにより災害のいくばくかを除去します。(被災者自立支援が大事なことです。)
 言い方を変えれば「守る」の表記では、自己防衛、拠点防衛、俺らが田んぼ、「自分のことしなさい」的発想で思考の隘路に落ち込み「力の分散」となります。よって「大災害と斗う!」という表現をを私は積極的に使ってゆきます。
よって「私のボランティア活動は、災害の除去」を任務として、立てています。



    
ボラセン立ち上げ初日「みんなで挨拶」して気持ちを   地元ボランティアもボランティア・バスで集まる
引き締める。「ネットワークの力」獲得の新居浜ボラセン  豊岡ボラセンも「ネットワークの力」が、生かされる。
 


・「戦略は大胆に、戦術は慎重に」      『クラウゼビッツ・戦争論』
「戦略は大胆に、戦術は慎重に」と18世紀、プロイセンのクラウゼビッツ将軍は「戦争論」の中で説きました。彼はこれを「目的はパリ、目標はフランス兵」と言い換えます。この意味は「目的はパリの占領で、そのために目標はフランス兵の殲滅である」との彼の考えの端的な表現です。
それは自国の政治意志の、敵対国への貫徹でもあります。「戦争論」は、もう時代おくれですが「思考方法」は使えます。(私はベトナム反戦の時に、この本と出会いました。)
ここには「目的と目標」の、「戦略と戦術」の順次決定追求性があります。「目的・目標達成の為に、(次に)何をすれば良いのか?」「目的達成の為に、どう目標を設定し、どこから順次に達成してゆけば良いのか?」と、考えて行動することです。
言い換えれば「水害の除去・土砂ヘドロのために、どこに前進基地を設けて
どれだけの人員を集めればいいのか。どのような道具がどの位あればいいのか。また飲み物は何百人分・何千本あれば足りるのか。どうして来て貰って、どうやって帰ってもらうのか。怪我人が出ればどこの病院に送れば良いのか。どこで、どのような作業を、どこまでやるのか。
或いは、ニーズをいかに集約して、みんなの希望をどうかなえればよいのか。
いかにみんなをリードするのか。」
目的と目標を明確にして「戦略と戦術」に置き換えて具体的に設定してゆくのです。



   
新居浜神郷地区「高校生」もよく頑張りました。!   「大先輩」のチェーンソー指南。ここの二人が昼から 
後に「中学生」も戦列に加わる。             夕方まで「ブン回し」状態。水泳で体を鍛えていた。
                                  「見よう見まね」でボラも「使えるようになる。」



そのために当面は、
A.
目的= 被災者の日常生活への復帰
目標= 土砂・ヘドロの撤去(台風接近)
    戦略=「災害の除去」 =生活・生命・財産の確保
    戦術=「災害ボランティア・センター」(ボランティア人海戦術の展開)
私達は「災害ボランティア」ですから
  a.戦略=「ボランティア・センター」人海戦術
    戦術=ボランティアの募集・派遣・作業・用具・資金・受入(現地)
  あ.
    ボランティアの募集   ぁ.=ネットワーク活用・広報       
             派遣     =ボランティア・パッケージ・バス  
             作業     =熟練VCによるオリエンテーリング
             用具     =ストックヤード(兵站基地)
             資金     =災害ボランティア活動基金(積立金)
             受入     =視察(地元自治会・地元社協との調整)




     
海山ボラセン 物資を抱えて「店開き」した支援団体   福井からきた「ボランティアバス」雨の中ご苦労さま
それぞれの団体の「持ち味」を活かす!          帰路の前に「仲間」と写真撮影としゃれこんだ。
                                   バスの中は、そりゃ「楽しいぞ!」疲れてても。




ただし「ボランティア独走」でなく☆『災害対策本部長』の意志と、行政・自衛隊・消防署・消防団・町の守りとしての自主防災団・青年団・JC・労働組合・各ボランティアグループのネットワーク、そして地域「社会福祉協議会」の役割分担をして、協力しあって、「総合能力」を高めて行くのです。
☆「大災害と斗う!」初心や動機の貫徹のために「何をすべきか」を順次決定追求することができます。
☆「被災地・人々」+「目的意識」+「人・物・金・情報」=「地元の人々に歓迎される、ボランティア活動」
を、目指すのです。

・ボランティア人海戦術
およそ、「ボランティアは単純で大量の仕事を大勢で(多人数)で消化する」のに向いています。これを私は「ボランティア人海戦術」と読んでいます。
 この年私は三箇所で「社会福祉協議会」の主導するボランティアセンターで活動しましたので、その様子を話してみたいと思います。もっばらボランティアの「動員と展開」です。「どのようにボランティアを動かしたのか・使ったのか・どう、活動してもらったのか・進んで何をしてもらったのか」ということです。





                 大仏殿の「紫薇」は「理想世界の象徴」であり目印
                 天平時代に世界より「ここ」を目指した人々がいる。
                  



《 ネタ話1 》(まとめとして)
・聖武天皇と「災害救援」の思想について
奈良から来ましたので、「奈良の大仏様」のお話を少しします。奈良では「大仏建立」の天平時代にも私達の大先輩がいて、そのボランティア精神は国家建設の礎にもなっていました。聖武天皇と行基様、行基集団と言われた「善智識」達、その人たちです。当然にして私達などとは比べるべくも無いのですが、私達はその偉業を、あるいはDNAを現代に受け継ぎ光をあて、その方法に学ぶべきだと考えています。ボランティア人海戦術は天平時代にも有効であったのです。
天平時代、大仏建立の詔勅に聖武天皇は「万物の動植、悉く栄む。」と述べられました。国家統治の法として「華厳経」を頂き、民衆を指導・救済する法として「法華経」を戴く聖武天皇の仏教への認識は、底辺に「生命・人間・博愛・人道」が溢れています。何故なら聖武天皇は「災害と疫病や戦乱」から民衆を守る為、「大仏建立」を成されました。
また「心あらば一枝の草、一握りの土をもちて造佛を助けたまえ。」と、言うことで民衆を大仏建立の現場にボランティア参加させ、識字・教育を普及させて、民衆に近代科学・仏教の叡知を伝えたのです。そして科学と叡知により民衆を目覚めさせ、「困難に立ち向かう勇気」としたのでしょう。
東大寺は総合大学・現場実習の活動の場であり、それを「実践する本部」としての総本山としての社会的位置にあり、諸国国分寺・国分尼寺を建立し、日本中の隅々まで仏法の光をあてようと計画なされました。
僧・行基は「善智識」と呼ばれる学僧達を指導してこの任に当たります。「大仏建立」の計画と実現は日本の優れた若者達を全国より集め、学僧として修業・実践させ、「識字率」を大いに増大・普及させます。文明国家の建設・天平の「文明開化」であります。
正倉も各地に建設され「兵站基地(物資供給)」ストックヤードの役割を担うのでしょう。蓄積された富と渡来の薬品は、民衆を救うために緊急時に放出されます。悲田院・施薬院も建設されました。造寺・像佛はこの実践活動の中から、そして多くの建物と美術品がうまれ国土を荘厳にして飾っていったのです。
この頃近畿地方に多くの溜池が作られました。指導したのは行基様です。旱害対策と水害対策の遊水地として機能してあるのではないでしょうか。川に溢れた水を緩衝地帯としての溜池に引き込むことによって水の勢いを少しでもへらそうと考えたのではないでしょうか。 このことはまだ私の問題意識の一つです。しかし各地に「布施屋」を営み「知識寺」を建立し浄財と寄進を集め、その収益で道を開き道路をつくり、橋を掛け、溜池を造られたことは宗教者・歴史家の間では有名な話です。そしてそれらは今も残り機能しているものがあります。(大和川の狭山池)
私は時空を超えてその精神は、現代をも照らすべきであると考えています。実は災害ボランティアなどと言う言葉だけが現代的であり、その実際の行いは大昔よりある、とも考えているのです。大きな災害があれば自ずと人々は助け合ったはずではないでしょうか
また、この頃は現在と同じような「地球温暖化」の時代だったかもしれません。どうでしょうか。
現代。しかし、その大仏建立の精神と、結果としての効果は「如何ほどのものか。」言われます。思想も科学も未分化な時代だと言われます。しかし、天平の大仏殿は現在の建て物の1.5倍の容積であり、大仏様も今のものより少し背が高い。そしてコンピューターも重機械も無い時代に「人々の手により」建設されたのです。日本中の人々が一人一人の手と手を合わせ、人海戦術を展開し「力を一つに結集」させたのです。日本が、奈良が、「大和」と呼ばれるのもこの頃からです。(「宇宙戦艦大和」にもこの意味があります。)
そしてボランティア「人海戦術」は21世紀にても有効なのを私は各地の水害被災地にて見てきました。人の手の暖かさは被災地の人々を勇気付けます。確かに重機は大量の土砂やゴミを撤去するのに優れています。しかし「被災者のそばにあるのはボランティアの手」なのです。最後の仕上げは全て人々の「手仕事」なのです。
「ありがとう・どういたしまして」・「ごくろうさま・お互い様」の言葉は被災地で頻繁に飛び交い人々の確かな信頼関係の上に発せられ、新しい世界の到来を予感させます。「よいしょ!、よいしょ!」の掛声は「みんなで良い事をしよう」という意味で天平時代の言葉のなごりであるかもしれません。
「心あらば一枝の草、一握りの土をもちて造佛を助けたまえ。」と、言うことで民衆を現場にボランティア参加させ、識字・教育を普及させて、民衆に近代科学・仏教の叡知を伝え民衆を目覚めさせ、「あらゆる困難に立ち向かう勇気」としたのです。
聖武天皇と行基様の言う「善知識」とは、「天平のボランティア」達であり、果敢に「災害と疫病や戦乱」とに闘ったのです。そのDNAは21世紀を生き抜く私達にも流れてあるのです。
 ユネスコの「世界遺産」とは「人類の偉業」と言い換えて良いでしょう。郷土を愛すること人々の力を合わせることが国家と世界を愛することにつながってゆくのだと考えています。