私の散歩道 4

05.3月の風景

私のご近所さん「Mさん」の住むのは、「柳家」という
料理屋さんであったと、近くのお爺さんが話してくれた。そのお爺さんも故人となっている。

ご近所の材木屋さんのお宅も古風である。

東大寺西大門跡の礎石。この頃のものには「おへ
そ」が無い。焼け門のは「デベソ」が突起している。
このことにより、たぶんこちらが古い礎石。

水門町の「知事官舎」の白壁が右。
左も官舎。

今度は黒い壁が続く。

倉は貫禄がある。玄関の門の屋根が古風である。

道の突き当たりの上に戒壇院が見える。

振り返ってみる。写真家・入江さんのお宅。

木々の枝が芽ぶいているのを見のが゜しては
いない。春は近い。

戒壇院の階段を上がり真正面。菩提遷那も鑑真
和上も故郷を捨ててここに来た。

戒壇院より大仏殿に歩く。紅梅が残っていた。

大仏殿はここから見るのがカッコ良い。

このお堂は『行基堂』で、中に厳しい表情の行基さま
がおられる。初めて見たときビックリした。

万博の時「古河パビリオン」の搭の水煙と法輪。
ガイドさんの言うとおり「あまり意味」がない。しかし
当時の搭を思うスケールの一つと考えれば良いだ
ろう。

『釣鐘堂』一昔前は小銭を払えば鐘を突くことが
できた。今思い出せば微笑ましい光景があった。
今なら「とんでもない!」ことになる。

この観光客も「鐘をつきたい」のだろうな。

何故か小さなお堂、それは行基さまに相応しい。
天平時代の「天地院」もこのような建て物だった
に違いない。私もそう想う。

お堂の左にお地蔵様が佇み「水子供養」の札を
抱かれている。よく見れはお供え物の豊富なのに
「なるほど」と相槌を打つ品物などもある。後背が
蓮華紋である。何故?

「三月堂」だったかな?何をお祭りしてたのか
思い出せない。また行って見よう。
良弁さんか実忠さんをお祭りしてたかな?!

二月堂は民衆信仰の根拠地の一つでもある。
善男善女が絶えない。

法華堂。私には金鐘寺でもある。良弁さんが
起こして、実忠さんが後世に伝えるべきものを
ここに残したのである。だから二戸一長屋である。

「 I さん、お葉書き、ありがとうございます。」指摘の
とおりキャプションを忘れていました。またこちらへ来ら
れましたら「転害門のネコ」の写真を見せてください。
(私も目撃したことはあります。)