東大寺 二月堂  

二月堂は私の『宝島』  ここは「なぜ・不思議」に満ちている。

 たまに「深夜」にここを訪れることがある。「何を祈るのか」夜中に祈る人がいる。人に言えない悲しみや
苦しみを、その人は抱えているのだろう。その人には神や仏が見えるのだろうか。だから一心不乱に祈り続
けるのだろうか。信仰の無きに等しい私には、祈りの人が神々しい。深夜の冷たい空気の中、耳を澄ませば
命の動く音も聞こえてくる。鹿の悲しい呼ぶ声が私をそこから遠ざけた。「お前は見てはならない!見ること価
わない!」厳しきこえでもある。
 
 ここには正史から隠された稗史がある。「お水取り」の行も、そうなのだろう。しかしけして隠されている訳
でもないのだろう。いかんせん、現代人が「読み解く」能力を喪失してあるのだ。
 大仏殿・大仏様、南大門・手掻門・御拝壇、法華堂、戒壇院、正倉院。釣鐘堂・念仏堂・行基堂、手向山
八幡宮・五百柱神社、東搭跡・西搭跡etcここにはご先祖様たちの活きた証がある。「意味がある」私達は
そのことにあまりにも無頓着だ。
 
 ある、会合での事。どこかの人等が「美術品」という。インターネットで「国宝文化財バーチャル美術館」をつ
くり「町づくり、に活用しよう!」と言う。それを聞いた私は「開いた口が塞がらない」状態。思わず反論してしま
った。もう二年も前の話。彼らもボランティアと称する。ボランティア活動のその先に何を見るのだろうか?。
          
             私は「らんぶりんぼーい」、『何か?』を求めてうろつきまわる。

                       神仏に祈る人の、神仏への祈りの声が、貴方にも、届きますように!

今年も「おたいまつ」の燈を見ることができた。3,4回見てしまうと「毎年」見ないと
気がすまなくなる。よって何度か見ると「やみつき」になってしまうのだ。無我夢中
の一年だったことがわかる。「来年もこの燈が、みれますように!」合掌

3/5の日曜日の夜に見た。3/12が「籠たいまつ」
の日なのだけど「人が大勢」に過ぎて、おちつけない。

こんなのも残ってた。失敗してるのだけど
何か暗示しているのかもしれない。「考え
すぎ」だね。へたなだけ。

「善男善女」が、今日も集まる。

この階段を登るのは「お年寄り」にはきつい。

これは「マニ車」かな?

階段の石畳に模様が彫りこまれている。

回廊より石段を望む。

奥山の清水を集める「瓶」がある。「お手水」に
使う。消防用水の意味もあるのだろう。

ここまで来ると「天女」が迎えてくれる。下には良弁をさらう鷲も見える。

「羅針盤」が天井にあるのは何のためだろうか?

(?なんだったかな?)

なら名物「あんどん」 夜には明かりが灯される。
ここは24時間営業で「お参り」ができる。民間
信仰の拠点とは、そういうものだ。

良弁僧正と母君の対面の図、講談にもある。感動の場面。
子を思う親、親を思う子の「愛情」が一枚の絵に示されている。

ご本尊「十一面観音」様に帰依する講の名前が見える。

まだまだ、見えるよ!「見たければ奈良へ来い!」
私が「観光ボランティア」してあげよう。

しまった!なんだったっけ?!もう一度良く見ておこう。

「泥棒撃退の図」私なら観音様が泥棒たちを手助けする図を描く。不遜で、
ごめんなさい。だけど、この倉なら何か取られても家主に痛手はなさそうに見えるから。

こんなところに石灯籠

額・あんどん、が並ぶ

ここにも水瓶がある。

ここで見る夕日は素晴らしいものがある。
欣求浄土・厭離穢土・極楽浄土を求めて、
ここより「飛び降りた」男女もいるのだ。

雲海が奈良町に低くたれる時「紫薇」が光芒を放つ!
その紫薇のもと「三千大千世界」の建設があった。
天上の飛天もお釈迦様も空の上から、雲海に遊ぶ紫薇
を認めたろう。

その証拠に「天邪鬼」を見つけた。

「俺達がこの世界を支えているのだ。」さもあらん
善男善女が「お線香の煙を頭に頂く」。
『毎日、ごくろうさま!』私はあなたを見ている。