中越復興支援 『春の陣』 (左記活動は5/22にて、終了いたしました)
05/14.15(〜22) 新潟県小千谷市の塩谷地区にて、小千谷ボランティアセンターの協力のもと、復興に向けた地域の人々とボランティアの活動が開始されました。
中越元気村・日本財団ボランティア支援部・名城大ボランティア有志・オール栃木・ヒューマンシールド神戸・
04救援隊、IVUSA等のスタッフのみなさんの努力と、小千谷社協と小千谷塩谷地区住民のみなさんの復興
への熱意がこの企てを現実のものとしたのです。
この塩谷地区には震災直後からHS神戸、中越元気村及び日本財団基地を拠点にしているオールとちぎ、04
救援隊、IVUSAなどが特別に集落に入って活動していました。今回の春の陣の準備は、、数ヶ月打ち合わせに
打ち合わせを重ねて、雪解けを待ちようやく実現できたのです。
なお塩谷地区は『未だ全戸避難地域』で、いわゆる「ボランティア活動対象外(禁止)区域」でありますが、今回
の活動は、小千谷ボランティアセンターの協力と地元 村民・地元NPOと日本財団の協働事業で、NPOと日本財
団が、「ボランティア募集」したのではなく、過去の災害ボランティア活動実績の中での「信頼の置けるグループ・
個人のみ」を指名して集めた、臨時ながらも「精鋭チーム」であり、用意周到な準備のもとに活動は展開されたの
です。
(ただ今も「塩谷地区」は避難勧告により「立ち入り禁止区域」です。なお「春の陣」活動は終了しています。)
(念のため「外来ボランティアはここ塩谷に立ち入らない!」ことを、明記いたします。)
塩谷に住む人々と、その人々と一冬を共に過ごしたボランティア達と、応援に来た人それぞれの顔と活動が、またそれを支援する活動団体とが『復興』に向けて、気持ちを心を一つにして活動する。




































:スタッフは仲間の到着前に「受け入れ」準備
全国各地より仲間が集まる。「お元気?お久しぶり」
の声が弾む。

「名城大学」の有志数十人がボランティアバスを仕立て
て参加した。中央の黒色花柄モンペレインコートのQ君
がリーダーだ。彼は豊岡・出石でも活躍していた。
現地リーダーより状況報告・心得・諸注意が発表
される。基調報告のもとボランティアは意志統一が
なされ統一行動を分散展開することができる。
個別パワーが「ベクトル」となる。気持ちも行動も
一つになるのだ。
車に分乗の後「塩谷小学校跡」に結集。学生達は
準備体操を始めた。
グランドの端に崖と地割れ跡を見つけた。中央右の
芝生の黒いスジは「地割れ」である。よって今もここ
は「ボランティア立ち入り禁止区域」なのである。
集落に入ると「地震と雪」に倒壊した家屋を多数みる。
解体分別をボランティアがすれば家主(高齢者が多い)
さんは他の仕事ができる。楽も余裕もできる。それで良い。
よく見ればこの家も傷んでいる。屋根の上部を
よく見て欲しい。波打っている。
19年ぶりの豪雪が一月中旬にあった。しかしここは
危険地域の指定があり「雪下ろし」ができなかった。
残雪が恨めしく見える。
この家は一見して傷んでいることがわかる。職
住一体の家屋は大きい。解体費用も大きい。
倒壊家屋と新緑と青い空がアンバランスである。
写真は音も匂いも風も伝えない。
傾いた厩舎には牛が飼われていたようだ。飼葉
桶が手前に見える。
5/14の感想
「解体と分別」作業は『危険作業』の見方がある。否!『ボランティア人海戦術』の醍醐味である。ボランティアの
全てがガキンチョであるわけもなく、多くは社会人であり職能を持つ。「人それぞれの顔と能力」があり、ボランテ
ィアコーディネーターが戦略・戦術と目的・目標を明確に判断し手段を決定すれば、そのことに参集するボランティ
アに任務を適正配分さえすれば、ボランティアの「総合能力」が絶大な威力を発揮することが可能なのだ。
「中越復興支援 春の陣」に集う人々の総合力により、ここ塩谷集落の倒壊家屋は時間さえあれば全て撤去
されるだろう。この企てにより熱い仲間の連帯感・信頼関係も確立できる。
それは近く到来を想定する大災害を克服する源動力の一つともなるだろう。
「農民の気持ちは農民が一番よくわかるんだ。」この
三人はお百姓さんで日常の作業にチェーンソーを使
うことはしばしばあるしあたりまえ。気合の入った作
業は朝から夕方まで続いた。疲れ知らずのタフマン
達は長野県から応援に来た。
黄色いジャンパーは「名城大学生」彼らも負けじと動
き回る。もっぱら廃材の運び出しだけれど若いから
へこたれない。彼らは眼も良く古釘のついた廃材な
どを良く片付けてくれた。女性もまじる。
カラッポとはいえドラム缶は重い。彼のパワーは
「侠気」から出てくるものなのだ。
私は疲れる前に写真を口実にサボる。一息ついて
から参戦する。離れたところから見えてくることもあ
る。側溝に廃材が詰まっていたので仲間と取り除く。
ほぼ二階・一階部分の撤収が済んだ。左下の瓦は老
夫婦二人だけで下ろした。「お母さん、指示をください。」
「お昼」も終えて、第二ラウンドの開始。
これは二階部分の床板を撤去している。
誰かそう言えば「この下の農機具を取り出して欲しい。」
とお母さんが指示を出してくれた。みんなで掘り出した。
右中ほどの逆への字形コンクリートは鯉を飼う潜水で右
側奥に数槽ならんで続いている。鯉は全滅していて腐
臭が漂う。
側溝の上にも壁が倒れ掛かっている。「どっちから
片付けようか?」といことで側溝の方からやりだした。
「お昼にしてください」の連絡により集会所へ。トラック
の上は給水タンクでフタをゆるめると水が出て、手を
洗う。赤いベストは「埼玉RB」の隊員。04水害にても
各地の「RB隊員」と出会い、一緒に活動した。
「おにぎり」はおいしかった。シンプル・イズ・ベストの
典型だな。ここで「奈良から来た」と言えば「へー・へ
ー・へー」と3つ戴いた。お里自慢に話が咲く。
「腹ごなし」の散歩に出れば花が一杯に咲いている。
こちらでも、あそこでも咲いている。
良く見れば「花も人と共にある」ことが見えてくる。
自生種と人が手を加えたものとは違う。
これは自生種だろう。アスファルトのひび割れが
気にかかる。
日当たりの悪いところはまだこんなに雪が残る。
この日は天気が良く汗をかいた。

「越後三山」が木々の間に見えた。
側溝にある廃材を取り除いている。ほぼ撤去した。
「主のいない家」その家を守るかのように花は
咲き乱れる。花は家の主の帰るのを待つ。
この花もそうなのだろうか?。人と自然は一体なの
か?対立するのか?「野の花も人のありて美し」
などと考えた。
4時に作業を終了して後に集会所前に結集した。
各グループの報告の後、各代表の挨拶。
区長さんからボランティアにお礼の言葉が送られた。
今日の機会を戴いた私達もお礼を言いたかった。
帰り道の峠越えで山腹崩壊を目の当たりにした。
この道の下も同じ様子である。よってここは避難
勧告が出て、今も「立ち入り禁止区域」なのだ。
「越後三山」はこの地の誇りであるだろう。
忍耐強さの象徴でもあるのだろう。
「泊まり」は六日町のユースホステルをスタッフみな
さんにお世話いただいた。食事風景。
当然ディスカッションの良い機会である。これは
名城大学のリーダーが企画してくれた。
「塩谷地区長」さんと住民のみなさん。震災只中の
様子や避難所の話、仮設住宅の暮らしぶり、これ
からの抱負を話していただいた。この集落の中で
三名の人が亡くなった。「元の暮らしには帰れない。
しかし村で活きて村をを再生する。」力強い言葉だ
った。














さあ、朝だ!出陣!てなこともないけれどみんな
元気がいい。高齢者でもボランティアはできる。


















膨大な廃材も人海戦術の展開で分別もできれば
焼却もできる。ボランティアはここで大活躍する。
「やっちゃえ!」のノリも時には役立つ。
雷鳴が轟いた。見る間に雨が降り出した。
しばし、雨宿り・休息。
山が咽ぶ。人間を超越した自然の一面。
少し休めばパワーアップ。どんどん作業する。
やっちゃぇ!どんどん作業する。
白ヘルメットのおじさんは「若い者にまけんわい」
と豪語してうごく。廃材運搬・分別は誰にでもできる。
みんな足元は固めている。
隣を見れば仲間が頑張っている。
これは家が傾いている。だから誰もいない。重機
を入れて破砕した後がボランティアの作業となる。
ここまで手が廻らない。いずれ片付ける。
地元の人々もじっとなんかしていられない。ボラン
ティアの熱も人々の熱も相互に伝え合う。
「お昼」に山菜の天麩羅と煮つけをご馳走になる。
地元の人たちの差し入れに舌鼓を打つ。
交代でいただく。少し足りない?食べ盛りだから。
でもみんな行儀よく、仲良くいただいた。
この歌を聴いてみたかった。故郷への願いと祈りが
「歌」になる。これは言葉・こころ・言霊であり、次の
時代へと、人々に伝えられていく。塩谷に暮らす人
々の帰属意識・原点なのだ。
そんなことを考えていたらバイオリンと歌声が聞こえ
てきた。赤いヤッケの女性が歌っていたのだ。「上を
向いて歩こう」永六輔さんの、九ちゃんの歌。この歌
により勇気づけられた人々は大勢いる。日本の歌。
しかしおっさんのコーラスはヘタやな。ははは…。
違うよ。「胸が一杯」だったんだ。きっと…。
名城大の仲間が帰省する時間となった。リーダー
のQくんがこの日の意義と活動の成果を報告する。
元、応援団の人がいて塩谷にエールを送る。
「フレー・フレー・シ・オ・タ・ニ!」
みんなが名城大学ボランティア勇士を見送る。
お昼の次は新たな現場へ。欠員のため班は再編
された。
みんな熟練してきたから少人数でもへっち
ゃらやん!しかし油断大敵。釘を踏み抜い
た。しかしゆっくりした動作と靴下を二枚つ
けていたので怪我はしなかった。ゴム長の
買い替えがイタイ!(これは高い買い物だった)
みんなばらばらの動きだけれど統一されているから
不思議。時間の経過は作業量を示している。
ここも屋根上部のパラペットを撤去できた。材木
をチェーンソーで徹底して剥がすことができたから
可能になった。始め見た時は重機でやるしかない
と考えていた。コンクリートは土台ではなく潜水槽
で、ここでも鯉を飼育していた。
「一日でここまでできるとは思わなかった。」左手前が
家主さんで、「三人娘?」達に囲まれて上機嫌!
いえ、作業の成果です。みんなで同じ作業をして仲間
意識の賜物で打解けた。楽しっ。
隣へ応援に入った。ここも奮戦中だけれど
焼却能力の問題があって作業は進めない。
もう、撤収時間となる。
火事を出してはならない。
Hさんは悲しみをこらえて作業しているのだろう。
後姿は「高倉健」に見えた。
本日の成果発表と反省。
現地スタッフの紹介。この時は日本財団スタッフ
「みんなよく頑張りました。」みんなで拍手。お互い
を讃えあう。これも大事なこと。
区長さんが「お礼の言葉」いえ、私達がお礼を
言いたい。拍手!
「一人できたから、一人で帰る」のはあたりまえ。駅前広場に誰もいない時があって
寂しかった。天国の鯉がおりてきて「おいらが見送ってやるよ。」地下道の入り口かな。
錦鯉の形をしている。写真に写さなかったがおびただしい鯉の屍骸を見ていた。
三度も名前を教えてもらったのにこの花の名前を覚えられない。奈良では見ない。
塩谷のいたるところで咲いていた。「もう一度見に行こう。」
5/15 の感想
現場に来て良かった。TVだけで済ませてはならない。観客なんかじゃない。当事者でも無論、ない。しかし
ボランティアなら現場に積極的に参加すべきだ。
体験主義的限界を想像力により、或いは体験により乗り越えろ、なんてことじゃない。
「向き合う」ことだと考えている。真正面から問題と向き合うのだ。人と出会うことが大切なのだ。
このHPの写真と文章も「現場」にはおよばない。動画に音声をつけても及ばない。
山の匂い。木々の・草花の香。萌え出る緑の息。風のうねり。雨の音。雷鳴の轟き。くもの形と影。溢れる光。
雄大な越後三山の姿。銀嶺の彼方の空の色。私は五感に六感に味わった。
おびただしい鯉の屍骸は腐臭を放ち、その姿は無残だった。山に帰った人々はさぞかし情けなかったろう。
生きてあるものを知りながら避難勧告により救えなかった。
雪下ろしもできずに家屋を放置せざるをなかった無念さは、私達にもつたわる。
廃材と同時に日用品も焼却した。思い出を焼却するのだ。これもつらい。
しかし今日明日を生き、村を再生するため、悲しみに暮れてもいられない。
若者達が村の再生に集う。村の者達もつどう。一緒に作業する。
チェ−ンソーがうなる。バールが軋む。ハンマーを打つ音、鎚を打つ音がこだまする。
獣も鳥達も今日のこの日、この日々をかしこんでいる。
新たな息吹、あらたな鼓動がうまれつつある。
若者の歓声が上がる。歌声が広がる。挨拶が交わされる。
「わがふるさと」それは誰もが持ちあわせ誰もが誇りに思うもの。
私はもう一つふるさとを獲得したのかもしれない。塩谷は素晴らしいところだ。
HPをもう一度見て欲しい。「人々の営み」は天然自然と共にあることがわかる。
しかしその営みを、「暮らしを取り戻す」ことは大変な作業であることも写真を見ていただけたら理解してもら
えるだろう。
その道程は長く険しいだろう。
しかし私が奈良に暮らしても、この道程を人々と「共に行く」ことはできる。と、考えるのです。
動力機械を使うボランティアについてはボランティア
保険対象外なので日本財団が直接対応した。
参加者のボランティア保険は社協で対応していただいた。
※追記 050524
今回の「春の陣」についての記述のうち、大きな事実誤認がありました。ここに関係者の皆様へ「お詫び」を
申し上げます。誤記については訂正したのですが、まだ至らないところがございましたらご連絡くださいませ。
再度、訂正いたします。
5/15 の記録